正義。

2010年11月20日 日常
NHK DVD ハーバード白熱教室
の東京大学編の再放送を録画したものを観た。

正義とは何か、というのをみんなで考える授業。
とても難しい問題を扱っている。

ディベートって、相手を論破することが目的で、そのための技術を磨くものなんかと思っていて、私はあまり好きじゃなかった。
でも考え方の違う人間が、それぞれ自分がどう考えるか、なぜそう思うのか、きちんと理論立てて説明して、相手と自分の考え方の違い、を理解していくのを観て、こういうのだったら良いな、と思った。
私の周りは、相手と考え方が違うと、潰そうとしたり、言うことを聞かせるために周りを封じ込めたり、とにかく周りの人間をどうやって自分の思い通りに動かすか、ばっかり(だけ?)考えてる人が多い、特に職場。

正義とか、正しいとか、まじめだとか、誠実とか。
これまで漠然と考えていて、周りから馬鹿にされるように「まじめだねぇ〜」と言われても、まじめで何が悪い、って内心思ってた。
道に迷ったときは、私が尊敬する人たちなら、この分かれ道をどう進んでいくか、私はどうしたいか、とか考えた。
でも、正義の定義って実は曖昧だってことをこの授業で知って、ある人は「共通善」というらしい。

そういう意味では、私が正義だと思ってやっていることも、私とは全然違う考え方をする人が多い今の職場内では、「共通善」ではなくて、むしろ理解不能な善とはほど遠いものなんじゃないかな。とか。
ああいう、周りを引きずりおろして最小限の努力で最大限の成果を得ようとする人たちにはその人たちなりの価値観があって、彼らの想像の範囲内では自分の考えられる正義を全うするために必要があってやっていて、それを周りの人間がどれだけ迷惑しているかまでは想像力が及ばなくて考えられないんじゃないかな、とか。

ジャイアンみたいな人たちに利用されないためには、ジャイアンで返すしかない、って言われて、そこまでして、自分の人格を変えてまでこの職場にしがみつきたくない、もちろん今の仕事は好きだけど、それを続けるために、周りの人間に不誠実な態度を取ったり、自分がされたら嫌なことをするくらいだったら、多少辛くても、残業をしてでも、周りの人を可能な限りサポートしたい、と思ってた。

私は、夫は人を騙したり、嘘ついたり、引きずり下ろしたりしないし、自分の成果を自分の努力で作る人だから、人として信頼できる人だ、と思った。
夫は、私がもしジャイアン返しを始めたら、それでも私のことを愛して、一緒に家族として生きていってくれるんだろうか。

でも、ジャイアンみたいな人たちからは、こいつは使えるし、どんなひどいことをしても反撃しない、勝手に自滅して仕事休むくらいだ、と利用される。
利用されないで、自分の時間を確保して、自分を取り戻すためには、ジャイアンにならなくても、彼らと共存するための方法や手法を考えなきゃいけないのかな。とか考えたりした。
具体的にどうしたら良いかは分からないけど。

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